ニーナ・シモン(Nina Simone)(1933年〜2003年) アメリカ合衆国のアフロアメリカンのジャズ歌手、フォーク、ブルース、R&B、ゴスペル歌手、ピアニスト、公民権活動家、市民運動家である。本名はユニース・キャスリン・ウェイモン。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第29位。 「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第21位。 1933年2月21日にノースカロライナ州、トライロンで7人兄弟の6番目として生まれた。4歳からピアノを弾き始め、彼女の才能にほれ込んだ周囲のバックアップを得る。 クラシック音楽のトレーニングで有名なジュリアード音楽院でレッスンを受けながら、カーティス音大への進学を試みたが断られる。50年代前半のことであり、黒人であったために差別された疑いがある。シモンはピアノの講師などで生計を立てようとするが、生活は苦しかった。1954年にはアトランティック・シティのアイリッシュ・バーで、ピアノを弾くことになる。 このバーのオーナーに薦められ歌い始め、やがて名前をニーナと改め、尊敬するフランスの女優、シモーヌ・シニョレに因んで、ニーナ・シモンと名乗った。フランス語ではニーナ・シモーヌの発音となる。 50年代後半に出した「アイ・ラヴ・ユー・ポーギー」がヒットし、やっと音楽活動が順調なものになっていく。彼女の音楽はジャズに限らずフォーク、ブルース、ゴスペル、ポップスなど幅広いジャンルを取り入れた。人種差別主義者によるアラバマ教会爆破事件やミシシッピでの公民権運動家殺害事件に抗議し、「ミシシッピ・ゴッダム」(1964)のシングルを発表した。1960年代の黒人公民権運動にも参加するなど精力的な活動を見せた。1967年には「自由になりたい」を発表した。 1970年、夫でありマネージャーであったアンドリューと離婚し、アメリカを出る。以後は、フランス、オランダ、南米やアフリカのリベリアを転々とした。 2000年を過ぎてからはフランスに居を構え、新たに活動を活発化させていたが、乳癌による闘病生活の末、2003年4月21日、フランスのカリー=ル=ルエ の自宅で70年の生涯を終えた。