1975年ごろ、カリー・ヘヤーにサングラスというスタイルでコンサートは勿論、レコードのジャケットでも素顔を見せることのないシンガーソングライターがいた。それが森田童子である。
本名も非公開、実生活もほとんど公表せず、普段も寡黙であった。作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、独特の世界観を表現した作品に自分の生活感を滲ませることを避けていたと言われている。

一部ではカリスマ的な存在だったが森田のファンは、全国的に見れば少数であり、本人がメジャー化を望んでなかったこともあり、その作品はマスコミで表立って紹介されることもなかった。

学園闘争が盛んな時代に高校生であった森田は東京教育大の学生運動の学生たちと交流があった。高校を中退して気ままな生活を送っていたが20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める。197510月にシングル「さよならぼくのともだち」でデビューした。この曲は、亡くなった友人をモチーフとした。森田の活動期間は、1975年から1983年である。その間にアルバム7枚、シングル4枚をリリースしたが同年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退宣言をすることもなく活動を休止した。

1993年1月テレビドラマ「高校教師」の主題歌に1976年のシングル「僕たちの失敗」が使われ話題となった。これに伴い3月にベストアルバム「ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション」が発売。オリコンチャート1位を獲得した。これは当時の史上最年長記録であった。4月にはオリジナルアルバム7枚がCDで再発売され、新たに多くのファンを獲得した。森田本人は、この騒ぎに対して現在は、主婦業に専念しているから、音楽活動を再開する気は全くないとだけ発言。以降は完全に沈黙を守った。

2003年1月、10年ぶりに「高校教師」の新作が放送された。再び「僕たちの失敗」が主題歌として使われた。これに伴い発売されたベスト盤「ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション」に『海が死んでもいいョって鳴いている』(アルバム『ラスト・ワルツ』)収録)の歌詞を一部変更して新規に録音された『ひとり遊び』が収録された。それ以降森田は、音楽活動はしていない。2010年5月の朝日新聞の記事によれば、現在は近しい人物の死去による精神的なショックと自身の持病により活動は困難であるとしている。

森田童子は、1952年1月に東京に生まれ。2018年4月24日、残念ながら心不全のため自宅で65歳で死去。(敬称略)