ノーラ・ジョーンズNorah Jones)(1979年~

アメリカ合衆国ピアノ弾き語りジャズ歌手&ジャズ・ピアニスト女優

父はインドで最も有名な音楽家でビートルズにも影響を与えたシタール奏者ラヴィ・シャンカル、異母妹はイギリス人シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカルである。

父ラヴィ・シャンカルと母スー・ジョーンズの娘としてニューヨークで生まれた3歳の時に両親が離婚したことにより、ニューヨークから2000キロ以上離れた母の故郷テキサス州ダラス近郊グレープヴァインに転居した。母スーは、生活を支えるために看護師として働き始めた。それによって兄弟もいないノーラは家で毎日一人となり、母が持つ膨大な数のLPレコードで寂しさを紛らわせていた。彼女は、そこから強い音楽的影響を受け、次第に地元テキサスで愛されたカントリー・ミュージックや当時流行のソウル・ミュージックのお気に入りの曲をピアノで弾き歌うようになった。

5歳のとき教会の聖歌隊合唱団に所属した。7歳頃にピアノのレッスンを受け始め中学生頃にはアルト・サックスを吹くこともあった。

15歳の頃、郊外のグレープヴァインからダラス中心街に移り住み、ダラスのブッカー・T・ワシントン高校でパフォーミングとヴィジュアル・アートを履修した。16歳の誕生日に地元のコーヒーハウスで初のギグを行い、ビリー・ホリデイの持ち歌『アイル・ビー・シーイング・ユー(“I'll be seeing you”)』をエタ・ジェイムズのイメージで歌った。1996年、高校在学中にダウンビート学生音楽賞(Down Beat Student Music Awards)の「最優秀ジャズヴォーカリスト賞(Best Vocalist)」、「最優秀オリジナル作曲賞(Best Original Composition)」を獲得し、翌1997年にも同音楽賞で「最優秀ジャズヴォーカリスト賞」を受賞する。

高校卒業後、北テキサス大学ジャズ・ピアノを専攻した。また、ラズロ(Laszlo)という名のバンドで、本人のいうところの「ダークで、ジャジーなロック("dark, jazzy rock")」の曲を歌っていた。20歳の大学3年の夏、友人に誘われニューヨークのマンハッタンに旅行する。

1か月の予定で旅行に出たまま、大学へは戻らずウエイトレスの仕事をしながらマンハッタンで出会ったソングライターたちに刺激を受け、自分の曲を作り始める。199912月頃より1年ほどはファンク・フュージョンのバンド、ワックス・ポエティック(Wax Poetic)と共演する常連になった。まもなく、ソングライターのジェシー・ハリス(Jesse Harris)、ベースのリー・アレグザンダー(Lee Alexander)、ドラムスのドン・ライザー(Dan Rieser)とバンドを結成、ノーラはヴォーカルとピアノを担当した。

結成したバンドのデモを、200010月にブルーノートでレコーディングした。これは、後にブルーノート・レーベルから『ファースト・セッションズ』(First Sessions)としてリリースされたが、現在は廃盤になっている。ブルーノート社長、ブルース・ランドヴァル(Bruce Lundvall)が、このデモ・テープを聴いてノーラの素質を見抜き、20011月、ノーラはブルーノートと契約することとなった。

ジャズのスタイルを取りながら、ソウルカントリーフォークポップスなど、アメリカのポピュラー音楽の要素を採り入れたデビュー・アルバムCome away with me』(邦題:『ノラ・ジョーンズ』)が全世界で1800万枚を売り上げ(累計で2300万枚を突破)、グラミー賞では主要4部門を含めノミネート部門すべてで受賞し、8冠を獲得。ビルボードのコンテンポラリー・ジャズ・アルバム・チャートで143週連続1位(2002316日付~2004124日付)を記録するなどの記録を残した。20042月リリースのアルバム『フィールズ・ライク・ホーム』は販売5日目にミリオンセラーとなった。

Qの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第77位に選ばれている。